東京の快適な一人暮し 快適な家31
【モダンな家】 ”モダン”という言葉は日本では大正の頃から使われていたようだが、どうやら一般的な言葉として普及したのは昭和に入ってかららしい。
(例:輸入家具 本革デザインソファ3点セット)<昭和モダン >
昭和モダン(しょうわモダン)とは、
昭和時代の初めの1930年代に花開いた、和洋折衷の近代市民文化のことである。
生活様式も大きく変わり服装も女性は着物に日本髪といったものから洋服を着、断髪し帽子をかぶるといったことが一部の勤め人の女性では一般に浸透しつつあったし、それにともない女性の社会進出も進み、「バスガール」と呼ばれたバスの女性車掌やウェイトレス(当時は女給とよばれた)など職業婦人が出現するようになった。
最先端の洋装を着た女性は「モダン・ガール(モガ)」と呼ばれるようになった(男性版の「モダン・ボーイ(モボ)も存在した)。
市民の足として鉄道会社が開発する沿線の土地には住宅が建てられ、そこに暮らす人々がターミナル駅のデパートで休日に買い物などに立ち寄るといった市民生活が一般的になったのも昭和初期からであった。
この時期に開店した主なデパートとして、世界初のターミナル駅デパートである阪急百貨店をはじめ三越百貨店、大丸百貨店などがあげられる。
都心部では地下鉄の建設が始まった。
日本における最初の地下鉄である「東京地下鉄道(現・銀座線)」は1927年に開通している。
(例:人と共に進化し、日本の心を受け継いでゆく国産家具:飛騨産業:穂高:リビング:7点セット) 前述の鉄道沿線開発では阪急電鉄の小林一三、東武鉄道の根津嘉一郎の近代田園都市建設は名高い。
宝塚大劇場や甲子園球場が開場したのはこの頃である(阪神間モダニズム)。
モダニズム建築やアール・デコ様式が持てはやされ、旧山邑家住宅、甲子園ホテル、同潤会アパート、聖路加国際病院(旧病院棟)、伊勢丹新宿店、旧朝香宮邸などが建設された。
但し五・一五事件や二・二六事件以降の軍部の台頭と政党政治の終焉以降の1930年代後半ころには、日中戦争の激化と世界的な国際関係の緊張を受け国家総動員となり、これらの文化は「軟弱で贅沢」「反“新体制”的」として排斥され、昭和モダンは終わりを迎える。
(フリー百科事典ウィキペディアより)
住宅も当時は少しずつ洋風化してきたようだが、結局戦争によりほとんどが灰燼に帰してしまう。
だが、
そのモダンが「和モダン」となって現代に蘇っているようだ。
<和モダンの家> 和の要素を現代に取り入れてつくられた仕掛けが、自由で風流な「和モダン」の家を構成している・・・(AllAboutのサイトより)
参考:

【目次】(「BOOK」データベースより)
和を感じるはじめての家づくり/建築家のモダンジャパニーズ/いろんな和の家/温もりと安らぎの「和」住宅/新しい住まいに和を生かす/今どきの民家に暮らす
(例:タモ材のコンパクトな高級ダイニングこたつ(ハイタイプこたつ)135巾6点セット ) この何とも言えない落ち着きようは、
現代の生活を捨てきれず、かと言って和の暮らしにあこがれる老後の住処の参考になりそうだ。
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