2008年9月25日木曜日

東京の快適な一人暮し 快適な精神5

<流れるようなリズムを感じた詩>

 学生時代、授業の内容が面白くないと、教科書の別の章を読みふけることがあった。
 例えば漢文で、何やら語句の解釈や鑑賞のし方を盛んに先生はまくし立てているのだが、ほとんど耳に聞こえていなかった。
 同じ頃、私は、その滑らかの詩の流ればかりを追っていたからだ。


 國破山河在 (国破れて山河在り 国家(唐の国都当時は長安)は崩壊してしまったが、山や河は変わらず
 城春草木深 (城春にして草木深し  城内(長安)では春が訪れ草木が青く茂っている。
 感時花濺涙 (時に感じては花にも涙を濺ぎ  時世の悲しみを感じては花を見ても涙がこぼれおち、
 恨別鳥驚心 (別れを恨んで鳥にも心を驚かす  家族との別れを恨んでは鳥の鳴き声にすら心を痛ませる。
 烽火連三月 (烽火 三月に連なり  三ヶ月※が経ってものろし火(戦火)は消えることはなく、
 家書抵萬金 (家書 万金に抵る  家族からの手紙は万金にも値する。
 白頭掻更短 (白頭掻けば更に短く 白い頭を掻けば掻くほど抜け落ち、
 渾欲不勝簪 (渾て簪に勝えざらんと欲す まったくかんざしをさすのもたえかねそうだ。

 ご存知の通り、中国盛唐の詩人、杜甫(とほ)の「春望」であるが、後に漢詩を一つ、皆の前で暗誦するという宿題が出たが、漢文嫌いの私がスラスラと暗誦できたのには自分でも驚いた。

 「幻魔大戦」という漫画が、SF作家平井和正と萬画家石森章太郎との共作で『週刊少年マガジン』に連載された。
 このラストの場面で、次のような詩が出てくる。 
 
  なんぴとも 一島にてはあらず
  なんぴとも みずからにして まったきはなし
  ひとは みな 大陸(くが)のひとくれ 本土のひとひら
  そのひとひらの土くれを
  波のきたりて あらいゆけば
  あらわれしだけ 土のうせるは
  さながらに 岬のうせるなり
  なが友どちや なれみずかれの園のうせるなり
  なんぴとのみまかりゆくもこれににて
  みずからを そぐにひとし
  そは われもまた 人類の一部なれば
  ゆえに問うなかれ
  たがために鐘はなるやと
  そは ながためになるなれば 
   
 (「死にのぞんでの祈り」、イギリスの詩人ジョン・ダン(John Donne 1572年1月22日? - 1631年3月31日)による詩。
 ヘミングウェイ作「誰がために鐘は鳴る」のタイトルの由来ともなっている)
 実は言葉の解釈に理解しかねている部分があるのだが、私にとってはそれは二の次なのである。

 もう一つは、映画の一シーンである。
 古代ローマの奴隷の反乱を描いた映画「スパルタカス」で、詩を読める奴隷アントナイナス(トニー・カーティス)が仲間内で朗読する場面である。
「西の空低く 赤い夕日がかかる頃・・・」
 まだ、この詩を完全にとらえていないがいつかモノにしたいと思っている。

 言葉に流れるようなリズム感じた詩を、自分でも口ずさめるとき、言い知れぬふくよかな気持ちになるのはなぜなのだろうか。

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