2009年7月14日火曜日

東京の快適な一人暮し 快適な精神14

<本の世界との接点> 

 近頃では本を買う時に、よく店員から「ブック・カバーが必要ですか」とたずねられる事が多くなった。
 たぶん、これも経費節約・省資源をねらったものだろう。

 私自身は、自分の読んでいる本が、何の本であるのか他人に見られたり、また本体や装丁のカバーが汚れるということを気にしている訳ではない。
 ただ、ごく自然に、今読んでいる本はブック・カバー(例:帆布 文庫判ブックカバー)がしてあるものという認識がいつまでも消えないので、読みかけにはブックカバーがしていないと気がすまないのである。

 私の読書は、近頃では新刊よりも以前読んだお気に入りの本を何度も読む時間の方が多ように思う。
 特に電車での移動や待ち時間等外出先での空き時間がある場合には、お気に入りの本を数冊バックに入れていく。
 そういう意味では、紙製のブックカバー(例:ブックカバー 漆・和紙 文庫判 本朱)の予備は何枚あってもいいので、大抵の場合ブック・カバーをもらうことにしていた。

 ブックカバーが手元にない場合、代用していたのが、古いカレンダーだ。
 月めくりのカレンダーは紙の地も厚く、またカレンダーの絵や数字がそのままちょっとしたブック・カバーの飾りになる。
 
 だが、ある時本屋だったかデパートだったかは覚えていないが、茶色の重厚な感じのブック・カバー(匠の技が魅せる!一枚革で作った文庫用高級本革ブックカバー)を見つけて無性にそれが欲しくなってしまった。
 文庫本、ハードカバー本、しまいには雑誌までサイズを用意してしまった。

 別に高価な「クロムハーツ/ブックカバー」や、「dunhill ダンヒル FJ18108 ブックカバー ブラウン (00003811)」が欲しいとは思わないが、手に馴染むお気に入りのブック・カバーをつけた本を読むと、なんだかそれだけで自分の時間と本の世界との接点が深くなるような気がするから不思議である。

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